2013年9月25日

【エンテツの十日町“田んぼ”見てある記】(その2)

その日、訪ねたのは、
十日町市の松代地区の若井明夫さん(当時64歳)の棚田と、
中里地区の有限会社・白羽毛(しらはけ)どりーむふぁーむの田んぼだ。
白羽毛どりーむふぁーむでは、主に、
「白羽毛米職人」という肩書の樋口徹さん(当時45歳)に話をうかがった。

十日町若井さん11
(若井さん)

十日町樋口さんアップ
(樋口さん)

お2人の田んぼは、まったく環境からして違うし、農業のやり方も違う。
若井さんは、丘陵地帯の棚田を中心に兼業農家というか多角経営。
樋口さんたちは名前の通り法人組織で4人が専業、
ゆるやかな傾斜地に区画整理された田んぼを持つ。
面積は、樋口さんたちは若井さんの4倍ほど。
どちらも、無農薬栽培を追求したり、消費者とは直販を基本にしているのが共通している。

十日町若井さん12
(若井さんの田んぼ)

十日町樋口さんの田んぼ
(樋口さんの田んぼ)

十日町市は、平地が少ない、
いわゆる中山間地農業の地域だが、まずは若井さんの田んぼだ。
十日町若井さん13
十日町市の中心部を南北に流れる信濃川がある。
信濃川の西側は丘陵地帯で、
下流の長岡市で信濃川に合流する渋海川が、
いくつもの曲がりくねった川を集めながら流れている。
その上流域に松代地区はある。
標高150~600メートルの起伏が重なりあう、まさに皺しわの台地だ。
どこを見ても棚田で、つまりこの地域では、棚田が普通なのだ。

棚田ファンなら「星峠の棚田」を、ご存知だろう。
星峠の棚田
映画のロケ地にもなった有名な棚田景勝地で、
この日も、鹿児島や群馬から来たひとたちが、ビューポイントで撮影をしていた。
しかし、この棚田は「棚田百選」に名を連ねていない。
そもそも棚田百選に応募しなかったのだ。
あまりにも日常的、普通すぎて、応募に気がまわらなかったようだ。
後日、百選の選考委員の方が来たとき、
その見事な景観に、「百一選にしよう」といったエピソードがあるそうだ。
とはいえ、どんなに景観はよくても、農業にとっては、やりにくいことがつきまとう。

若井さんとお会いしたのは、
星峠の棚田から少し離れたところにある若井さんの田んぼの一つでのことだ。
そのあたりの棚田の上のほうにあり、若井さんは軽トラで来ていた。
集落から棚田まで登ったり降りたりもあるが、
若井さんは、
「棚田は山に沿って曲がっているうえに、深さも違うから、やりにくい」という。
使う田植え機も軽トラのように軽便のものだった。
十日町若井さんの田んぼ

軽便のものにしても、運び上げたり降ろしたりしなくてはならない。
そういう棚田ならではのやりにくさは、一つひとつあげるといろいろあるのだろう。
若井さんは、1.1ヘクタールほどの田んぼを無農薬でやるようにしているが、
この棚田3アールだけは、真夏に農薬を使うことがあるそうだ。
雑草の盛んな時期には、行ったり来たりの手間もばかにならないにちがいない。
若井さんは、
「田んぼでは食えない、だけど田んぼはおもしろい、
 だから田んぼを続けるために測量を始めた」といった。
有限会社ワカイ測量をやっているのだ。
十日町若井さん3

中山間地の兼業農家というと、一部の論者からは、
政府の補助金を食いつぶす欲の張った農家で、
「日本を滅ぼす」かのようにいわれ、それを信じている人たちもいる。
農政については、
これからの農業や食糧のあり方として議論しなくてはならないことはあるだろうが、
兼業農家を槍玉にあげる前に、
いままで日本は、どういう農業で多くの人が米を食うことができていたのか、
中山間地の兼業農家が支えてきたことについて、考えてみる必要があるだろう。
十日町若井さん4

エンテツの米の話

遠藤哲夫(えんどう・てつお) 1943年(昭和18)新潟県六日町(現・南魚沼市)生まれ。庶民の快食を追求するフリーライター。通称“エンテツ”。著書に『汁かけめし快食學』『大衆食堂パラダイス』(ちくま文庫)など。現在、ちくま新書より新刊『大衆めし激動の戦後史―「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』が発売中。