2013年10月27日

大衆食堂で同じ釜の飯を食うということ(その1)

米の力というのは、まあ身体を動かす活力を生むものでもあるけど、
もうひとつ、根源的な意味で人をつなぐということもあると思うんだよね。

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同じ釜の飯を食った仲という言葉があるけど、
昔から仕事の現場とか寮だとか、同じ米を一緒に食った仲間は、結束が固かったりする。
米の飯を通じて深いところでつながってるという感じかな。

同じことが大衆食堂でもあると思うんだよね。
大衆食堂は、家族経営が多い。
親父が飯を作って、カミさんが配膳を仕切ったり。
だから、金を払って飯を食う場所ではあるんだけど、
長い時間をかけて通って、繰り返し顔を突き合わせるうちに、
何となく親近感が生まれてきたりする。
といってベタベタした関係性じゃないけどね。
まあ、とにかく店の人間も客も同じ釜で炊いた飯を食ってるわけで、
どっかでつながってるんだろうね。

竹泉朝定食

特にカウンターがあったりすると、人間関係はおもしろくなる。
時間をかけてだけど、カウンターをハブにコミュニティが生まれるからね。

初めは、隣の奴に「ちょっと醤油取ってもらえる?」とか、
「スイマセン。詰めてもらっていいですか?」とか、
そんな何てことない会話から始まるんだけど。
同じ食堂の飯を食っているうちに無意識につながってるんだろうね。

なんというか、家族ではないんだけど、他人じゃないみたいな、感じになってくる。
カウンターに座って、隣で知ってる奴が飯を食っていると。
「あれ? いつもサンマの塩焼きなので、今日は唐揚げだな?」とか、
そんなことを気づくようになったりしてね。

百万堂唐揚げ定食

大衆食堂で食うということは、単に金を払って食うだけではなくて、
米を食うことを通じて、有機的な人のつながりを感じるようになる。
そんなことも米のウマさのうちなのかもと思ったりするよね。

(続く)

エンテツの米の話

遠藤哲夫(えんどう・てつお) 1943年(昭和18)新潟県六日町(現・南魚沼市)生まれ。庶民の快食を追求するフリーライター。通称“エンテツ”。著書に『汁かけめし快食學』『大衆食堂パラダイス』(ちくま文庫)など。現在、ちくま新書より新刊『大衆めし激動の戦後史―「いいモノ」食ってりゃ幸せか?』が発売中。